Theory-of-Kのブログ

やわらかく生きる

無知の知 0と1の発見

自分の信条はソクラテスなどにある。

いわゆる「無知の知」や「助産術」で西洋的合理性は、日本人としては全面的に受け入れられないものの、ソクラテスの考えは非常に謙虚かつ合理的であって好ましい。

「善く生きる」もそうでこの言葉はすでに完成されていると思う。解釈は不要であり蛇足である。

あとは、道教の「道」、儒教の「中庸」もよい。

道はwikiによると道教では、「道は学ぶことはできるが教えることはできないと言われる」

まさに「善く生きる」の自分の解釈と同じである。

 

これらは数学的に0と1を表しているとも思える。

無知=0、そしてそれを自覚して1となる。

 

道は弦理論とリンクする感じで面白い。パッと思いつくのは開弦の方だが、閉弦としても意味はあるかと思い直した。開弦のほうが哲学的な印象だけど閉弦でも太極図なんかとリンクする感じがある。まあ太極図は根源や無限の象徴として有名だが。

 

他の宗教などはやはり人為的な臭いが抜けていない気がする。

もちろん信仰は個人の自由である。

しかし自分としては先に言った概念で十分かな。