Theory-of-Kのブログ

やわらかく生きる

【アニメ】鬼滅の刃

一応原作は漫画だけど、アニメから入ったんでこちらを軸として評価している。


最近の巷の押し作品だというが、はたして・・・アニメ全話視聴感想。

まあ素直な王道テーマである兄弟愛、バトル(剣劇)、怪物(元人間である鬼)の不条理という作品。
それ自体はよいのだが、どうにもそこまで話題になるようなレベルではない気がする。

2つ☆くらいかな。

 

 

ネット評価で某個人サイト(サイト主30代ぐらい)の否定的感想と同じような感想になった。

自分の感覚としては最初の数話で、「ドラゴンボール(以下DB)+るろうに剣心(以下るろ剣)の劣化版」という印象を受けた。
ドラゴンボールというのは言わずと知れたバトル漫画の金字塔作品である。
自分は、結構多くのメジャー意見も多分そうだと思うが、やはりフリーザ編までがピークで初期(Zシリーズ前)の方が評価高めである。
今からよくよく大人になって考察してみると素晴らしい作品だなと改めて思う。
様々な要素がうまくかみ合っていて展開も面白い。
少しだけ触れると起点は悟空とブルマの出会いだが、キーとなる要素は悟空の強さに対する情熱とドラゴンボールという不思議アイテムの2つだと思う。
そこからアドベンチャー、仲間との出会い、修行、天下一武道会と徐々にバトル中心にうまく展開していく。

鬼滅は冒頭掴みでよくある不幸インパクトだ、これ自体は別に典型的な掴みなのでよい。
だがキー設定というかそれを含む展開がうまくない、キーはねづこを人間へ戻すことと鬼への復讐となるだろう。
ねづこが鬼なって制御が効かないと思いきやあっさりと制御。そしていきなり都合のよい師匠に出会いねづこをさらに便利戦闘要員になってしまう。
一般的に考えるなら、主人公炭治郎は当初ねづこという大ハンデを背負ったと受け取るのが普通だと思うが、この作品ではそれほどではない展開に。
そして最優先動機である人間に戻すということが、なぜか剣の修行になってしまう。???
確かに第2の動機である鬼(ラスボス?)への復讐という点では納得できるが、しかしまずねづこを人間に戻す冒険になるのが普通ではないかな?
そして都合のいいことに師匠にあっさりと巡り合う。確かにDBでも早めに亀仙人と修行しだすが、鬼滅の展開ではかなり違和感がある、もったいないというかね。
作者が早く修行させたい感があるのだ。大抵の作品では、このようなねづこという厄介ごとを抱える展開ではいかにその制御・処置に四苦八苦するということが多いと
思われるが、この作品はあまりにもあっさりと制御しすぎ。その上、さらに話が進むと戦闘切り札的な存在にまでなってしまい、都合がよすぎる。
修行について、これも少しだけ違和感というかもったいない感がある。るろ剣では剣心の修行は5年ほどだ。これでもインフレはかなりだと思う、あと悟空は最初の修行時にぎりぎり人間限界を超えてるぐらいから
出発し(100m8秒台)修行で完全に人間越え(垂直飛びハンターハンターツェズゲラ16mと同じぐらいか?)
インフレで言えばダイ大のダイもかなりのものだと思うが、話を戻す。
炭治郎のインフレ速度はこうみると漫画的には速くも遅くもないという感じだが修行の描写がうまくない。バトルものにおける修行パートはおいしい部分だと考える、あとで出てくるが、装備系の更新(この作品では刀)なんかもそうだ。しかしどうにもあっさりしすぎ。この辺も作者の重視する部分が違うのだろうが、他のバトル漫画では結構描かれることが多い。後に出る第2回目の修行は結構描かれているが、天狗の師匠の方が人物的に重要な感じを受けるのに、修行内容があっさりでもったいないと感じたわけ。

あとは臭いはまあDBの気という感じですかね。

ギャグ要素はかなり低評価、まあつまらない、間が悪いものが多い。正直最近の若い人間(作者、吾峠呼世晴現在30歳)は感覚が違うのではないか。
なんというかいわゆる昔の素直な感覚がだんだんなくなってきている感がある。確かに古い作品はもちろん感覚が古い。これは当然だろう。しかし共感できる部分も素直なのでわかることが多い。
スピード感もそうだ、現実の移動速度も格段に速くなり、知識も格段に広くなった。もし人類が宇宙に散らばる時代になればさらにこういった感覚は変化するだろう。
寿命感覚もそうなるって来ているし。ということでギャグはいまいち共感をよばないものが多い。この影響は仲間キャラにも反映されている。

とにかく印象的なのはテーマ自体は一貫しているが「展開」に違和感が多くある作品だ。